尾形光祐さん
2022/09/16 UPDATE
尾形光祐さん
1期生(2021年卒)
筑波大学大学院出身
私立中高一貫男子校(中学2年担任)
生徒の純粋な知的好奇心を刺激し、
困ったときに話しかけやすい存在に
 OBOG会の会長であり、同期からの人望も厚い尾形光祐さん。自らの母校である中高一貫校の国語科教諭として、多感な生徒たちに向き合っています。持ち味の柔らかな笑顔は変わりませんが、若手教員としての葛藤や悩み、子どもの未来を創る教師という職業への熱い思いをたっぷり語ってくれました。
- お元気そうですね。近況報告から、お願いします。
 2020年4月より、私の母校である私立中高一貫男子校の非常勤講師になり、2021年4月に同校の国語科専任教諭になりました。
 東京の私立校なので、中学受験を経て関東各地から生徒が来ます。学校全体として理系のイメージが強く、大学入試結果は例年、東大約10名を筆頭に、近年では医学部合格者数が全国トップクラスという評価を頂いています。
 生徒数は中学が1学年約230名、高校は高入生クラスが1~2クラス(約60名)です。昨年は中1担任で、現在はもち上がりで中2を担任しています。学年にもよりますが平均して1学年5クラスの編成なので、今のクラスは生徒が46人。3年間で大きくなる男の子たちが46人なので、ぎゅうぎゅうな感じです(笑)。
 部活動は、中学バスケットボール部の副顧問と中高茶道部の顧問をしています。学生時代の部活がバスケットボールだったので、昨年から引き続いてバスケ部の副顧問に。茶道のほうは、私が大学院で茶道を始め、今は全校で茶道ができるのが私だけということで顧問を務めています。
 私の勤務校は、世間では「スパルタ」「硬派」などのイメージがかなり強いと思います。ただ自分が学生だった頃に比べると、変わってきているところもあります。最近は子どもたちのニーズや多様性の社会を反映し、「これをやりなさい」という強い指導よりも、子どものいいところを見て良い面を伸ばすとか、子どもの希望をふまえた支援も増えています。
尾形光祐さん
創立100年を超える歴史ある私立校。校内には大きなヒマラヤスギをはじめ緑が多く、校舎建替えで伐採した木も、教室や講堂、生徒用ロッカーなどに再利用されているそう。
- 中学受験をして入ってくるのは、どういう生徒?
 小学校時代の姿でいうと、おそらく塾に行っていて「授業は全部わかっているから聞かない」「塾があるから宿題をやらない」みたいな子が入学してきます。でも彼らも、好きでそうしているわけではないと思います。自分はこうしたいというスタイルをもっている子もいますし、一方的な押し付けや理不尽なことに敏感で、納得できないことにモヤモヤしてしまう子もいる。でも、それが彼らの正直な気持ちかなと思います。
 私自身は、生徒にとって「話を聞いてくれる先生」「隙があって、話しかけやすい先生」でありたいと思って接しています。教室で終礼が終わって「先生」と声をかけられたら、必ずその場で立ち止まって聞きます。あえて生徒の前ではおっちょこちょいなところを演じてみたり、少し自虐も交えたりして「あの人は少しふざけて話してもいい人だ」と思われるようにしています。そうすることで結果的に子どもが本当に困ったときに、打ち明けられる存在でありたいなと思っています。特に中学生くらいの男の子は、お母さんお父さんに話をしなくなるので。
 実際、不登校傾向になる子もいます。特に去年と今年はコロナの関係で小学校生活の最後がリモートになり、行事も全部なくなって、学校にもあまり行かずに卒業した子たちが、中学校に入って新たに40~50人のクラスで学ぶことになり、適応するのが厳しかった子もいます。小学校がリモートになり、家でゲームにはまった子が中学校から改めて勉強をと思ったけれど、やっぱりしんどいというケースとか。私の学校は専門のスクールカウンセラーが来るのは週1日なので、基本的には担任が対応します。
尾形光祐さん
中学バスケ部の副顧問としてチームマネージメントや大会の審判も担う尾形さん。「自分がかつてキャプテンを務めていた部に、指導者として関われるのは感慨深いですね」
- 職場の周りの先生との関係は?
 職員間での関係作りは、まだ様子見です(笑)。私の学校は、長らく若手教員をあまり採用していませんでした。進学校ということもあり、ベテランでスキルがある先生を採用してきたからです。私の学年担任団の先生たちもかなり年上です。一番若い先生でも8歳上で、40代半ばの先生たちと一緒に組んでいます。そのため、私は同僚として「ミスできないな」「若いから仕事ができないと思われたくない」という思いで必死に働いています。
 周囲の先生方の個性もさまざまです。自分の信ずるところストレートに言う先生もいれば、後からその先生がいなくなってから「あれは違うよね」と言う方もいらっしゃる。とにかく私は、あの先生の考えも多分一理あるんだろうと1回のみ込んでいます。「違うよね」とか言われると、とりあえず「そうですよね」と言いつつ、自分の中で「でもな…」とか思いながら。すごく嫌な人間になっていると思います(笑)。
 器用に人に接しているように見えるかもしれませんが、実は男子校で育ったので、大学に入ったときに女子学生と全く話せないまま、2年間友達ができなかったことがあって。要は価値観の揺さぶりみたいなのがあったんです。
 当時は親の影響もあり、学歴とかステレオタイプな価値観で固まっていた感じでした。でも大学でたくさんの人に出会って「もしかして俺、頑固?」「親世代の価値観にとらわれている?」と思ったときがあり、それ以来、柔軟に受け入れる人間になりたいと思い、色々な考えをとりあえず取り込んで、寄り添って議論をすることを意識するようになりました。
 よく自分に言い聞かせているのは、「ファーストインプレッションは大事だけど、全てではない」ということ。国語科の教員として生徒にも話します。言葉は聞こえていても、心の内が全部見えるわけではない。言葉は大事だけど、万能ではないよ、と。
- 教員として、やりがいを感じる瞬間は?
 国語科教員としてやりがいを感じるのは、授業中に生徒が「あぁ~!? そういうことか! すげぇー!」といって顔が晴れやかになるときです。
 この前は中2の生徒に葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」を読ませたんです。これがプロレタリア文学だとは説明せず、文章だけぽんと渡して。恋人が石を砕く粉砕機に落ちて亡くなった女工が書いた手紙の中に「私は私の恋人が、劇場の廊下になったり、大きな邸宅の塀へいになったりするのを見るに忍びません。」というところがあります。生徒に「何で劇場の廊下は嫌なの?」というと最初、彼らは気づかない。だけど当時のセメントを作る人の給料がどれぐらいで、生活レベルがどうでという話をして、「もう1回聞くね。なんで劇場の廊下が嫌なの。劇場ってどういうところ?」というと「あ、娯楽ですか?」。「その通り」と返事をすると「あぁー!」とみんなが言うんです。貧しい女工は、生活にゆとりのある人が行くところだから劇場をよく思わないと気づいたわけです。
 彼らは「わからない」が解決したときが一番面白いんです。最初わからなかったこと、手がかりを得られずにいたことが、パッと解決すると「なるほどね。すげえ」と目を輝かせる。そういうときは本当に嬉しいですね。
 うちの学校は算数選抜もあり、数学が得意で国語は苦手でほとんどできないという子も珍しくありませんが、そういう子に授業アンケートを取って「授業が面白かった」といった回答を見ると、「国語は苦手だけど、嫌いじゃなくなっているかな」と手応えを感じます。高校3年生で受験勉強するときに、その教科を好きかか嫌いかでかなり違ってくるので。自分の授業で、国語に興味をもってもらう “種まき”ができているといいなと思います。
尾形光祐さん
「中学生の頃から抱いていた『母校の教壇に立つ』という夢を叶え、日々この場所から生徒と全身全霊で向き合っています」
- 担任として、不登校の生徒への対応もされていますね。
 中学1年で不登校気味だった生徒が、対話を重ねるうちに徐々に学校に来られるようになり、2 年生になった今は土曜日を含めた週6日の登校日のうち、4、5日は通学できています。これは担任として、本当に涙が出そうになります。
 この子の場合、入学して1学期は登校できましたが、夏休み頃に勉強に追いつくのが難しい、しんどいというようになり、そのことで親御さんに責められていたようです。夏休みが残り3日になっても全然宿題が終わっていない。そこで母親に強く叱られ、すごく気分が沈んでしまい、2学期からほとんど学校に来られなくなりました。
 そこで私は、彼が学校に来るたびに1時間、2時間と面談をすることに。併せて保護者にも「申し訳ありませんが、叱りたい気持ちを少しこらえていただいて、代わりに私が責任をもって指導をしますから」と話をしました。本人も面談を重ねるうちにカタルシスになり、気持ちが整理できたようで、少しずつ前向きな気持ちを取り戻してくれました。
 1年のときにほとんど通学できていなかったので正直、学習の遅れもあります。それも本人と相談しながら、2人で作戦を立てて勉強をしています。失敗から学んで自分で自分をマネジメントしていくことは、中学生にとって大事な勉強だと思うので、彼のやり方を尊重し、周りの先生には私が頭を下げています。
 なぜそこまでするかと聞かれても、理由はないかもしれないですね。私はできる子よりも、そのときに一番しんどい子のほうに目が行きます。今回の子も、その子自身が自分を何とかしようと思っているのがわかるので、そういう子は何とかして引き出してあげたい。一生懸命やろうとしている子をできないからと見放すのは、私は許せないので。できない子や見たくないものに目をつぶるのは、すごく楽な選択肢だと思う。けれども、私たちの職業はとにかく命と未来を育てる仕事なので、プロとして目をつぶってはいけないという心情でいます。
- 今、苦労していることや悩みは?
 一つ目は、生徒への負担(宿題やペナルティ等)を増やさずに、国語の力をつけるにはどうしたらいいか。学校としては受験学力を求められるところもあり、英語や数学でもたくさん小テストがあります。私は漢字の小テストはやりますが、ペナルティはなし。その代わり学期の平常点につける形にしています。ペナルティはなるべく課したくない。生徒がしんどくなり、国語や漢字が「嫌だ」となってしまうのが一番怖いので。でも中学生だと罰がない小テストは手を抜くというのもあり、果たしてどうすればいいのか。奨学生OBOGにも、どうやって工夫をしているのか聞きたいです。
 二つ目は、労働時間を減らす=生徒のためにできることが減ると考えてしまうのは、私だけ?ということ。今は働き方改革が叫ばれ、学校の雰囲気としても「若い先生も大変だろうし、帰れるときに早く帰りなさい」という雰囲気ですが、純粋に授業準備をしていると時間がかかる。結局いつも時間的にここで切り上げるという帰り方をするのですが、小さな罪悪感を覚えます。もうちょっと本当は生徒のため、授業のために何かできたんじゃないかなと。早く帰るというルールにしてもいいんですが、結局今よりも質を落とした授業準備に繋がってしまわないか。単に私の能力が低いだけかもしれませんが、うまくやっている先生方に話を聞いてみたいです。
 三つ目は、「自分が生きていけるだけのお金を稼いで、あとは好きなことをして生きたい」という生徒が少なくない。生徒に将来に対して希望を持たせるには?――です。
 今は人生100年といわれ、いい大学に行くことがゴールではなくなっています。大学を出てからのほうがはるかに人生は長い。そこで仕事をするのに、自分の教え子にはやっぱり明るい顔で働いてほしい。自分が生きていけるだけのお金を稼いであとは家で何か好きなことをしていたと言われると、好きなことをしているときは楽しい顔だろうけど、働いているときの顔は見られないかも、と思ったりします。
 私はノブレス・オブリージュというか、君たちが私立校に通っているのは、恵まれた環境に生まれて通わせてもらっているのであり、自分が得たものを社会に還元してほしい、と思います。でも、そういうのは大人から口で言われても納得しないですよね。どうしたらそう考えられるようになるのかなと思いながら、悩んでいます。
- 休日の過ごし方、気分転換のしかたは?
 うちは土曜日が授業なので、休みは日曜日と、月曜から土曜の間で研究日として1日休みがあります。最近は休みの日によく寄席に行きます。私が好きなのは、今大人気の柳家喬太郎さん。とても面白いです。
 落語に行くのは、もちろん自分が笑って精神の栄養剤にというのもあるんですが、やっぱり話のプロなので、ほれぼれします。間合いの取り方、目線の配り方、話のはさみ込みかた、そういう点は楽しみつつ勉強しているところもあります。授業でも最初にまくら(導入)をもってきてひと笑いしてリラックスして、はいと切り替えて授業――というようなこともしています。なかなかうまくいかないんですけど。
 あと、ドライブも好きです。車で大体2時間ぐらいで行けるところを探して、出かけます。急に富士山が見たくなって、三島に車を走らせたこともあります。
 私も教員としての仕事に追われ、OBOG会のほうはいろんな方に迷惑をかけていると思いますが、ここに挙げた悩みを含め、気軽に思いを吐き出したり、相談したり、話したり、たくさんしたいですね。
尾形光祐さん
休日のある日、新宿末廣亭にて。「たくさん笑って心の英気も養いつつ、言葉の紡ぎ方や授業づくりの勉強にもなって一石二鳥!」

(2022年7月13日の取材をもとに事務局が編集しました。)
編 集 後 記
余白が人を引き寄せている
「余白とは、受け入れる心のスペース。この広さはすなわち人間の器につながる。」
 遥か60年以上前、我が家の近所にドイツの光学機器メーカー社長のお家があった。百坪はある荘厳な木造二階建てのお屋敷。お花畑の広い庭は手入れが行き届いて全く隙が無い。ところが、いつもそのお庭には近所の幼い子がはしゃぎ、沢山の猫ちゃんが戯れ、ときには背広の大人も同化している。奥さんはおにぎりやお菓子をくれる。これがまた美味しかったこと。一方、ご主人は溢れる仕事の来客と重厚な洋間で大変なビジネスのやりとりをしていたに違いない。
 尾形さんを考えるにあたって思い出したのは何とこのお屋敷の風景だった。
 取材をしてみると、彼は、担任の仕事、授業づくり、2つの部活顧問、学校行事、加えて生徒の心のケア、さらには奨学生OBOG会長、とまるで鬼の形相となってしまいそうな仕事の質量である。しかしそれを、アンパンマン風の笑顔で、時に楽しそうにわかりやすく語るのである。
 彼には自分をも達観したものの見方ができ、常に心に余白を持っているからそうできるのだろう。おそらく生徒も、関係する方々も、尾形さんなら聞いてくれて力になってくれる、楽になれると思って向こうからやってくるに違いない。
 仕事に溢れて大変な状態にあっても、人が寄ってくる笑顔の余白を持っている。この魅力を維持し広げて行ってほしいと思う。
そこで、とくに教職にある皆さんにお願い
 最近は、不登校児や心を痛めた児童・生徒の対応は、スクールカウンセラーや対応してくれるNPOが充実しているので、先生は兎に角任せてあまりタッチしないように、と指導する向きもあるようですが皆さんのなかで心を痛めた児童・生徒の対応経験をお持ちの方がいましたらどういうときどのように対応したというだけの内容で結構ですのでお送りください。
おかげさまで、応答をくださる方が当初の1名から5名に増えました。5人がもっと多くになるよう願いつつ、問いかけを続けて行きたいと思います。
募集中
学びをより広く
深いものにするために
取材を受けてくれたOBOG教員たちは、一生懸命自己開示してくれています。
1.彼らに感想やメッセージを送ってください
2.記事中の彼らの質問になるべく答えてください
3.編集後記の「皆さんへの質問」に、なるべく答えてください
メールにて、hakuho-f-obog@ddcontact.jp (教職育成奨学金ネットワーク事務局)までお送りください。
皆さんからいただいた感想やエール、質問への応答は、多様な知見のストックとなります。
「1期生 小学校教員○年目」という紹介にて、追って掲載いたします。
このコンテンツは、奨学生のOBOG限定です(現役奨学生や関係者向けには別途編集したものを後日提供予定)。
コピーや転送、対象外の人の閲覧は、厳禁とします。